忠孝
家族というと、これは皆さん同じだと思いますが、やはり真っ先に思い当たるのが儒教です。
儒教では忠孝が大事な美徳とされています。
「忠」とは主君に対して忠誠を誓うことで、「孝」とは親の教えに従うことです。
この「忠」と「孝」の対立が長年議論されてきました。
なぜかというと、簡単に言えば主君からの命令と親の教え、どちらを優先したらいいかという話になるからです。
これに対して、忠孝は元々一本の概念であるという考え方もあります。
どちらにしても、今ではこのような議論は起こらないでしょう。主君でも親でもなく「自分に従う」という選択肢が、広く受け入れられているからです。かくいう私も、自分に従って行動しています。自分勝手はいけませんが、自分に従うのは自己実現や幸福追求に適しています。
では、忠孝の考えは現代では全く消えてしまったのでしょうか。
私は、「忠」の教えは、共同体内の他者への誠意という形で残っていると思います。
同じ利益や思想で共同体を形成・あるいは既存の共同体に加入したのなら、無責任ではいけません。自己犠牲とまでは言いませんが、誠意ある対応を取らねばならないと思うでしょう。「忠」は形を変えて人々の心に残っています。
では、「孝」はどうでしょうか。
核家族化が進み、独立すると家を出る人が多くなりました。家業を継ぐという考え方もなくなり、自分で職業を選ぶ時代ですから、親が子にアドバイスできることも少ないですし、むしろ親は子を縛らない方がいいと考える人の方が多いでしょう。
では「孝」はもう今の社会に残っていないのでしょうか。
私は、「孝」の本質とは自分の生活的なアイデンティティを大事にすることだと思っています。簡単に言えば親から継いだもので、それは元来血統であったり職業であったりしました。
しかし、それ以外にも親から継いでいるものはあるわけで、それは一緒に生活していく上で時間をかけて熟成されていく生活的アイデンティティ、思考方法や選好です。それを理解しているのは同じアイデンティティを持っている人間だけなわけですから、親のアドバイスというものは親でない者のアドバイスに比べて助けになるわけです。
ですから、血の繋がっていない親に育ててもらった等の状況があったりしても、そもそも儒教とは縁のない生活をしている人だとしてもその中にも「孝」の欠片は埋まっていると思っています。
今、国際結婚も増え、また性的少数者の結婚が話題になっている中、家族のあり方が問われています。温故知新ではありませんが、忠孝という物差しで物事をとらえ直してみると、新たな発見、すっと腑に落ちる感覚が得られることでしょう。
役者 入江 啓明
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劇団綺畸2018年度新人公演
『めまい』
作・演出 土田高太朗
3/16(土) 19:00
17(日) 14:00/19:00
於 駒場小空間
予約制・無料(カンパ制)
全席自由席
予約フォーム(入江扱い)↓
https://www.quartet-online.net/ticket/kiki2018shinko?m=0kdicgd
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